イギリスはホントに“まずい”のか?

 

2001年 2月19日−3月11日 初めてのイギリス渡航

 

「どうして美味しい物を探すカリメロがイギリスに行くの?」

今でこそ常温のビールは愛好者も増えていますが、当時は「イギリスのビールはぬるくてまずいんだよね。」が合言葉でした。「何処に行ってもフィッシュ&チップスばかりで、もう飽き飽き。」「ローストビーフは美味しいけれどソースが酷い。」もイギリスから帰って来たお客さんが口々にする言葉でした。耳にタコができる程 聞かされた“イギリスはまずい”の口癖にとても興味が沸いたのです。ふと思うと、私はこれまで “まずい物” を食べた記憶がありませんでした。

“まずい物”って何?。どんな?・・・。そんな疑問や興味から “まずい国”に行ってみたくなったのです。

 

私達はロンドンに到着しPUBに直行しました。そこでビターとフィッシュ&チップスを頼みました。

隣のテーブルでは素敵なスーツを着た老紳士が私達と同じ物を食べていました。背筋を伸ばし、脇を閉め、ナイフとフォークを長く持ち、限りなくそれを平行に操って一回一回口に運ぶ姿が美しくて感動しました。そこでピンときたのです、この国は“美味しい国”だと。このフィッシュ&チップスを一切れ一切れを愛おしみ、話しかける様に悠々と食べる姿から、その食べ物が“まずい”はずが無いと思いました。“こんな風に美味しく食べている人がいる” それだけでこの国は “美味しい国” の充分な理由です。

滞在中、伝統的なパイやソーセージ、ローストビーフやシチュー、インドカレーやサンドイッチ、モダンなレストランのフュージョン料理を食べましたが、何処でも美味しそうに食べられている料理ばかりでした。

しかし、これらの料理を私達が美味しいと思ったかどうかは別の話ですが。

 

このイギリスでは美味しい物を2つ食べました。ひとつは私の大好物の“キュウリのサンドウィッチ” です。幼い頃からの小さな夢だった現地イギリスでのサンドウィッチは最高に美味しかった。パンはフランスが一番美味しいと思っていましたが、あのきめの細かいしっとりとした食パンはフランスにはないエレガントな舌触りです。

もう一つは“林檎”です。今でもイギリスの林檎はどの国よりも美味しいと思っています。いつでも私の舌の上にその時の味を呼び起こす事が出来るほど本当に美味しかったです。

 

それとは反対に “まずい物” も食べました。それは “サーモンロール寿司の天ぷら” です。文字通り生のサーモンを御飯と海苔で中巻きにし、衣を付けて油で揚げ、リーペリンソースをお湯で割った出汁のような物に浸して食べる料理でした。

この時“まずい”か“美味い”かはただひとつ“塩の加減“ で決まるという事を確信しました。そして、“まずい物” は料理の仕方が下手だと出来るという事です。当たり前の様ですがあまり真面目に考えた事が無かったのでこの時初めて気がつきました。

もし全く同じ材料でこの料理を私が作ったら、このとき一切れしか食べる事が出来なかったこのサーモンロールを六切れ全部食べきる美味しさに仕上げる事が出来るでしょう。

サーモンに塩を振って下味をつける、サーモンを巻く御飯はリーペリンソースをまぶして茶飯にし、出汁にはリーペリンソースを入れずにもっと塩を入れて良く混ぜる。これだけで格段に美味しくなります。要は素材の味が薄塩の為に引き出せずにいる事、そして衣や海苔、御飯、サーモンの食感にコントラストが無い事も相まってグニャグニャな感じなのが “まずい” のです。全てはコントラスト、味、食感、香りのコントラストです。塩は味も然ることながら食感の調整にも役立ちます。日本人は、このように手の込んだ料理では沢山の食材を使いながらも一体感を保ちつつ、それぞれの味や食感、香りを個別に感じさせる事で複雑で豊かな風味に仕上げる事ができます。またそれを日頃から食べていますから一口目も二口目も同じアプローチしかして来ない単調な料理に対して飽きを覚え、興味を失せさせられてしまうのです。“まずい”とは、“まずい”という類いの味がある訳ではなく、箸が進まないという事。即ち食べようとしているのに食べる興味が失せる事なのです。(船場れな)

ハラールHalal とコシェルKosher

 

今までカリメロに色々な国籍の方や信仰を持った方がおいでになりました。インド系イギリス人のヒンズー教の方、アメリカ系ユダヤ人の方、宗教とは少し違いますがベガンやフルータリアンの方々などです。私には、彼らの制約を守り、毎回違う料理を考え、手間を惜しんでも作るのはとても楽しいことです。

 

もう最近はお見えになっていませんが、なぜかいつも金曜日にしか来なくて、肉は主に鶏肉を好んで、タコスライスはチーズを抜いてくれというアメリカ人の女性がいました。その当時は、チキン好きのチーズ嫌いのキャリアウーマンだとばかり思っていました。ある金曜日、その方がいつもの彼とではなく女性の友人と二人で見えたのです。珍しいなと思いながら注文を取りに行くと、「今日はお金が払えないから今晩の食事代は明日でも良いですか?」と聞かれたのです。「良いですよ、あ、でもクレジットカードも使えますが・・・。」と答えましたが彼女は「クレジットカードも使えないのです。」と言いましたが私は良く来てくれる彼女の事を信頼していましたし、何も普段と変わった様子が無いので「いいですよ、いつでも!。」と答えたのでした。いつもの様にチキンとタコスライスを食べ、楽しそうにワインを飲んだ帰り際、友人の方が会計を支払うと私の所に来たのです。それを知った彼女は「ここは私のレストランだから私が御馳走するわ!。」と友人の支払いを拒みもう一度私に「明日、払いますからね。」と帰って行きました。気になったのは少しだけ、何か訳があるのだろうと思っただけでした。

次の日の昼過ぎのことです、彼女ではなくいつもの彼が支払いにやって来ました。私が「あれっ、彼女は?」と聞くと「昨日は金曜日だから・・・、今日は土曜日だしね。」と彼は当たり前のことを言って笑顔で帰りました。そこで初めてなんか妙だな?と思いました。

このところ、自分の中で盛り上がっているイスラム文化を勉強しているうちにイスラム法上、口にしてはならない物の説明にユダヤ教との対比がありました。ユダヤ教では口にして良い物といけない物の分け方が私にはとても面白くユダヤ教への興味が止まらなくなりました。そこで、です。そう、この彼女はユダヤ教徒だったと気が付いたのでした。

チキンはさておき、“肉類と乳製品を一緒にしてはならない” という教えから、同じ鍋や皿に一緒に入れない事や、肉を食べた時にはチーズはもちろん、アイスクリーム、食後のコーヒーにもミルクは使ってはならないのです。だから、タコスライスのチーズは“抜き”なのでしょう。そして決定的だったのがお金を持っているはずの彼女が支払いをしなかった事です。金曜日はユダヤ教のシャバット(安息日)といって日没から土曜日の日没までは働く事をしてはいけないのです。金曜日にしか来ないのは彼女が料理をする事(働く事の一つ、火をつける事、電気製品のスイッチを入れる事。)が出来ないからで買い物やお金を払う事もいけないのだそうです。だから次の日の土曜日も安息中なのでユダヤ教ではない彼が支払いに来たという訳です。

 

ユダヤ教でもありイスラム教でもあり、ましてやキリスト教の聖地でもあるイスラエル・・・。どんな料理がどんな風に分布しているのかが気になって一度行ってみることにしました。

 

エルサレムでは、世界中のどんな小さな町にもあると言われる中華料理店が見当たりませんでした。

イスラム教ではもとより、ユダヤ教でも豚肉は口にしてはならないという教えがあります。なぜかというと一説に、豚は泥や排泄物の中で転げ回り、毛で覆われていない皮膚ゆえに人間に良くない病原菌に感染しているといわれ、更には何でも食べてしまう習性から、人間の貴重な食料を奪う不浄で、恐ろしい動物とされているからです。

だから豚肉を多く使う中華料理店は食材として仕入れるにも、料理をして提供するにも困難でお店が成り立たないのです。

 

食べ物に関しては、そのように口にしてはならない物の教えだけではなく、口にしても良い物に関しても、イスラム教ではハラールHalal、ユダヤ教ではコーシャまたはコシェルKosherとして、屠殺の仕方から運搬、保管に至るまでの厳しい決りがあります。どちらも、殺生に命の尊さを学び、人間に決して他の生き物の血を混ぜること無く単なる栄養として摂取することに徹する為です。私には、何となく『〜をしてはならぬ。』または『〜しなければならぬ。』という教えは人が節制することに価値を見いだす根性論かの様に思っていましたが、実際は “より良く生きる為の彼らなりの確固たる理論” なんだと知り感心しました。(船場れな)