Album 食探究紀行

2005年 インド偏 その1

なぜ、インドに?

 

この年は、スペインとインドの2カ国を周る盛りだくさんな旅でした。

始めにスペインの4都市を巡り、一通り仕事や食材の仕入れを済ませ一旦成田空港へ戻り4時間のトランジットでインドへ再出発というスケジュールです。

「なぜそこまでしてインドに?。」それはカリメロにヒンズー教徒のお客さんがいたからです。


 

7年前の1998年、その当時10日に一回程来て下さるインド系イギリス人のお客さんがいました。彼はヒンズー教徒です。彼は一切肉や魚を口にしませんが食べる事や赤ワインは大好きでした。奥様は美しい金髪のキリスト教徒のイギリス人で二人共とても気さくな方でした。

私は、彼の料理を作る時にはとても慎重になりました。前の客に使った肉や魚に触れた包丁や鍋は丁寧に洗うのは勿論、一日の終わりにしかしない消毒を彼の料理の前には特別にするといった具合で、私なりのお清めをしてから料理にとりかかりました。なぜなら「僕は妻の事を愛している。で

も妻が一切れでもベーコンやチキンを食べたならその日は絶対に妻にキスはしないよ。たとえ歯磨きを沢山したとしてもね。」と彼が言った言葉が忘れられないからです。そんな彼が一人で夕食をしにカリメロに来るのを楽しみにしていました。

私には、野菜類だけで料理を作るのはとても簡単なことですが、あえて、肉や魚を使わずにカリメロの普段の料理を再現する事に知恵を絞りました。せっかくカリメロに来たのなら、奥様の手料理やよそのレストランとは違った料理を楽しんでもらいたい!と思うからです。 つづく ↓

↓つづき  ある時、彼が友人達を集めて貸し切りのパーティーをする事になりました。私は、その当時カリメロでは外国人のお客さんに人気のあった骨付きのチキンの脚をにんにくとバター、セージとタイムでじっくり煮込んだ ”鶏のにんにく煮込み”という料理をメインに選びました。そして彼には特別に、ごぼうを骨に、豆腐とグルテンを肉に、湯葉を皮に見立てた食感も舌触りもそっくりなものを煮込む事にしました。私はこの日、彼と彼の友人達が同じ料理を食す事で、日頃、彼と食事をする際に感

じていたであろう“垣根”を取り払う事をコンセプトにしたかったのです。隠し味の醤油で肉の焦げた旨味を再現できた事で、我ながら良く作ったなと惚れ惚れする出来栄えを自信満々に彼にサーヴしました。しかし、大喜びをしたのは、周りの友人でした。自分の鶏と比べて「本当だ、見分けがつかない!」「いや、味も同じだ!」と大騒ぎに。しかし当の彼はいつもの様に笑顔で「美味しいですね。」とあっさり・・・。  つづく ↓

 

私は自分の馬鹿さ加減と罪の深さに落ち込み、そして反省しました。それ以降彼への料理の作り方が変わりました。それまで通り味を再現する事は今まで通りに追求しましたが、肉の形を模す事だけは決してしない様にです。

 

私はこんなきっかけで菜食主義者の料理にとても興味が出てきたのです。”現地のヒンズー教の人達の食生活を見てみたい!”と思い、インドへ行く事になったのです。

丁度日本でも“エコロジー”や“ヨガ”“ベジタリアン” ”オーガニック” “マクロビオティック” “スローフード”などが流行し始め食への思想やスタイルの多様化が大きく進み出している頃でした。

 

(*) この時はそう思っていましたが、後から勉強をしたらとんでもない事に気がつきました。”五葷”<ごくん>といってニンニク、ニラ,ヒル、ネギ、ラッキョウの臭いの強い野菜は性欲を増し怒りを強めるという事から仏教では肉食(殺生をする)と同じ様に食してはならない”禁忌”になっているそうです。という事は、この”鶏のにんにく煮込み”を永平寺のお坊さんに食べて頂くなんていう事は、以ての外ですね。

↓つづき  私は彼が大喜びでみんなと同じ様に絶叫するのを期待していたのに、なんだろう?この温度差は?と後片付けをしながらぼぅーっと考えていました。

肉や魚をを使わない精進料理から学んだ今回の料理はいつか永平寺のお坊さんが来た時にも出せるな〜と思いました。その瞬間でした。(*) 精進料理と彼の非肉食の大きな違いに気がついたのです。大概のお坊さんは、子供の時や若い時に、肉も魚も食べた経験があるのです。どうにかして食べたい肉や魚の料理をそれを使わずして”もどき”の料理に仕上げるか?が精進料理の極みです。それに対して生まれた時からヒンズー教で肉を食べた経験が全く無い彼には、鶏肉や豚肉、牛肉は食材ではなく動物の死骸の一部なのです。きっと彼には、苦労して作り出した鶏肉のような食感はただの”豆腐”と”グルテン”という物の食感で、あのカリッ,ベロンとした鶏皮は”湯葉”の食感に過ぎなかったのでしょう。

そして、あれこれ考えているうちにもっと大変な事に気がついてしまいました。見方を変えてみれば、私が彼を肉食に誘惑し戒律を破らせた事になるのではないか?という事にです。植物性だと言えども骨まで付けて!?

ヒンズー教において食事とは生命維持の栄養補給活動で、日本人のように様々な美味しい物を、楽しく食べる事を追求する娯楽とは違うようです。


 

インドの香り

 

インドの街町には、いい香りが漂っていた印象です。

街角や路地の至る所に祠があり、そこはいつも香が焚かれ、生花が供えてありました。このエキゾチックな香りは散策する風景と幾度も重なって今回のフィールドワークに色彩を添えてくれました。

町中にいる牛は辺りに生えている草しか食べていない様子で、牛も糞もあの強烈な臭いがしません。そして多くの人々が菜食生活を送っているからでしょうか?。ごった返す大衆の中にいてもいやな臭いは感じませんでしたし、一見ホームレスに見えるババ(修行僧)も沐浴を大事にしているのでノン・スメイルです。体が放つ臭いは食べ物に由来しているのだとつくづく実感しました。

 

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